2011/3/31 22:10:11 [27]鮮血が飛び散る。 結衣の世界はその瞬間に終わった。 間もなくして双子もいつの間にか姿を消し、そしてこの場にいるのは灰と乙夜だけ。 「――。」 灰はその場に崩れ落ちた。 蒼白な顔に血塗れの身体、冷たすぎる体温が彼の終わりを物語っていた。 二つの死体と一人の人間が校内にあった。 「はは……ははははははははははははははははははっ」 唐突に、乙夜は笑い出す。 目に涙を浮かべ、狂ったように笑い出す。 右手には未使用のリボルバー。 哀しみも苦しみも痛みも怒りも虚しさも。 全ての感情が心の中に産まれ、沸き上がり、爆発し、消えていった。 何だったのだろう、終わらない夜の三年間は。 こんなに簡単に消えてしまって、それでいいのだろうか。 最後の最後まで、乙夜は傍観者だった。被害者ですらない。 倒れているのは兄の敵。だけど死んでせいせいするということはない。 ただ心にはぽっかりと大きな穴が空き、空虚だけが吹き抜けて行った。 偽りの正義を胸に抱いた一夜はこうして幕を閉じた。
朝日が乙夜の横顔を照らし、終わらない夜は終わった。
了。
2011/3/31 22:1:20 [471]出血は酷く、もう立っているのがやっとの状態。 しかし彼は結衣を見つめたまま微動だにしなかった。 「……望、みか……」 灰の一番の望みを裏切ることが、結衣の一番の望み。 灰は結衣に消えて欲しくない、しかし結衣は消えていきたい。 「俺の……所為、なの、か?」 途切れ途切れの言葉は、しかしはっきりと音を紡ぎ出す。 灰の、最後の執念がそうさせているのだ。 「……え?」 結衣は虚をつかれたように目を見開く。 灰が大人になったから。結衣を裏切ったから。 だから、だから結衣は死のうと思ったのだろうか。 「なら、俺……が消、えれ……ば。いい。お前……が、消え、る、必……要は……っ」 声が途切れる。呼吸が荒くなる。 血が足りなくなって、もう立っていられなくなった灰はその場にひざをついた。 だけど息が千切れることはない。 灰は弱々しく結衣を凝視したままだった。 「……違う……違う、違うっ。灰の所為じゃない、私が選んだの……灰と一緒に世界を壊したいって私、言ってたでしょう?でも無理だった。私達に有利な世界になっても、それは無理だって解った。……でもね、一つだけ世界を消す方法を見つけたの」 それは、結衣が消えるという方法。 自身が消えてしまえば世界が終わったのと同じ。 結衣自身の世界はそこで時を止めるのだから。 「……このままだと灰は死んじゃう。もう私に生きる意味はなくなったよ。だからもう止めても無駄だから」 結衣は自らの顳顬に銃口を押し当て……
引金を引いた。
2011/2/27 22:7:13 [14]大して威力はない、安物の銃。 しかしこれだけの至近距離から撃たれてはひとたまりもないはずだ。 ――銃弾は、灰の右手を貫通させていた。 それで威力は多少弱まって、だから彼は辛うじて生きている。 だけど……もちろん無事なはずもない。 一時間、生きれるかどうか。 「い……乙、夜」 弱く途切れ途切れの声は、まだ双子の殺害を促していた。 冷たい風がその場を吹き抜ける。 赤黒い血液が大量に地に吸い込まれてゆく。それに比例するように灰の顔面はみるみる青白くなっていった。 それを見て硬直していた結衣は、しかし堰を切ったように笑い出す。 「……馬鹿、――バーカ、これでもう誰も止めないじゃん。あはは、これで私は死ねる……残念でした、灰。あんたの望みは一生叶わないよ」 望み。 その言葉に灰が微かに反応する。 そして自嘲の笑みを浮かべて。
2011/2/2 23:1:8 [169]文句を言おうにも灰と結衣の間に入れるような空気でもなく。 戸惑ったまま乙夜が硬直した、そのときだった。 銃声。 結衣が引き金を引いたのかと思い、乙夜はそちらを見やる。 確かに結衣は引き金を引いていて、しかし灰が銃口をずらしていて……銃弾は結衣の肩をかすめて灰の右目に当たった。 「――っ!」 声にならない結衣の叫び声。 「……馬……鹿か、そん、な……顔、するな……ら……最、初か……ら、ゲー、ム、なん……か、すん……な、よな」 灰の息は切れていて、手で押さえた右目の、指の間から血がダラダラと流れ落ちた。
2011/1/19 20:0:23 [574]息を呑む音さえもやたらと大きく響く。 その静けさは、銃声によって遮られた。 銃弾は結衣の顔から一センチ程離れたところをすり抜けて校舎の壁に傷痕を残す。 「……あれ、珍しいじゃん。灰が外すなんて」 「……外れたんじゃない、外したんだ」 本物の銃を構えているにもかかわらず、二人は酷く冷静だった。 乙夜は銃を持つだけで手が震えているというのに。 灰は徐に銃を下ろした。 結衣は予想でもしていたかのように別段驚いたそぶりは見せない。 「呆れた。お前がまさかそんなふざけた“終わり”を用意してたとはな」 灰は目を閉じて嘆息した。 ――そのとき。 結衣が灰の手から銃を奪った。 「……っ!」 銃声はない。だが、結衣は自分のこめかみに銃口を突きつけている。 「来ないで」 灰が銃を奪い返そうとすると結衣は冷静すぎる声で言った。 手を伸ばせばすぐに届く距離。 しかし、灰が手を伸ばすか結衣がトリガーを引くかどちらが早いかと言えば明らかに後者だった。 「動いたら、私が死ぬから」 灰は言われた通りにただその場に立つ。 均衡状態。 少しでも二人の中で何かが揺れれば、一つの死体が完成するだろう。 「……乙夜」 後ろで傍観していた乙夜が、名を呼ばれて反応する。 灰は一瞬乙夜とアイコンタクトをとるとそのまま結衣に向き直った。 「……え、………………え?」 灰の言わんとすることはよく分かった。 ようするに、“お前が二人を殺れ”と言いたいのだろう。 曰く、彼らは人間ではない。だから乙夜にも殺せる、と灰は軽く考えているのだろうが。 今すぐにやれ、と言われても無理なものは無理なのである。
2011/1/16 21:20:27 [202]「ねえ、結衣」 「結衣ってば、聞いてんの?」 背後から聞こえる双子の声を、結衣は意識的に脳内から排除していた。 もうすぐ終わる。 結衣の用意したシナリオが灰にまで伝わっているかどうかは分からなかったが。 大人になりたくなくて。ただそれだけでつくり出してしまった「終わりのない夜」も、その副産物である「不気味な双子」もきっと消えてくれるだろう。 それで全てが終わる。 結衣は一つ息を吐き出すと先ほど灰達と会った場所から少し離れた場所に向かった。 多分そこにいると直感が告げている。 結衣は背後で騒ぐ双子を引き連れて歩き出した。
「……来た」 乙夜と灰は同時に顔をあげる。 前方約10メートルのところに結衣と、そして白と秀がいた。 銃撃戦が始まって、もうすぐここは血の海になる……と、乙夜は考えていたのだが。 「……結衣、ふざけてんのか?」 灰の苛ついたような声は全く緊張感を含んでいなかった。 「大真面目、だよ。“ゲーム”でふざけるほど私も馬鹿じゃない」 結衣は、丸腰だった。 銃もナイフも、その他諸々の武器も一切持っていない。 「これでいいの。私が用意したシナリオはね――」
“私が死んで、それで終わりなの”
夜の街はあまりにも静かすぎた。
2010/12/16 19:37:40 [761]――1時間が過ぎた。 灰はまだ動く気配を見せない。 乙夜は次第に焦れて、灰に言った。 「なあ、いつまでこうしてるつもりなんだよ?」 その声は意外に大きかったらしい。灰は軽く乙夜を睨んだ。 「……五月蝿い」 灰はそのまま乙夜の問いを無視して、先ほどと同じように黙ってしまう。 彼の雰囲気が少し変わった気がした。 1時間前の彼はもう少し饒舌で、“静か”という言葉よりも“お喋り”という言葉の方が似合っていた。 しかし今の印象は“静か”……いや、“無”といった方が正しいのかもしれない。
更に15分が経過した。 灰は顔を上げてゆっくりと歩き出す。 「……どうしたんだよ?」 今度は小声で乙夜は灰に問う。 「結衣たちが動いた」 言うと、灰は地面に落ちているリボルバーを指差す。 灰が先ほど乙夜に渡した物だ。彼はどうしても使わせたいらしい。 乙夜は嘆息してそれを拾い上げた。
――戦闘開始
2010/11/21 0:35:51 [798]連載半年、おめでとうございます^−^ 応援あげです☆彡
2010/11/18 18:58:6 [28]「あの双子を殺す、それで夜を終わらせる」 灰の言葉に、ふと乙夜は疑問を感じた。 「……白と秀が死んだら夜が終わるのか?」 もしかして、結衣がそう言っていたのだろうか。 灰は一つ頭を振って答える。 「知らない。ただの勘だから」 「はぁ!?」 思わず大声を出した乙夜を灰は一瞥した。 乙夜ははっとして今更ながら自分の口を塞ぐ。声が聞こえれば結衣に見つかってしまう。 しかし先刻の宣戦布告といい、今の勘といい、灰は思ったより頭が悪いのだろうか。思いつきと感情だけで行動してしまうような、灰はそんな人間だったのだろうか。 過去を振り返ってみれば思い当たる節はある。乙夜が気がつかなかっただけで、もともと灰はこんな性格だったのかもしれない。 「……何だよ」 気がつくと、灰の顔をまじまじと見つめていたらしい。 不満げに問いかけて来る灰に、乙夜は何でもないと言う風に軽く手を振った。 「お前、銃使ったことあるか?」 突然の問いに、乙夜は一瞬固まったが、すぐに首を横に振る。 と、灰がこちらにリボルバーを差し出して来た。 使え、という意味なのだろうか。 「……俺、使った事ないんだけど」 「そんなことは分かってる。でも、秀と白は確実に仕留めておきたいからお前も手伝え」 曰く、リボルバーは6発しか弾が出ないが、操作が簡単で安全性も高いので初心者向き、らしい。そして6発も打てば一発くらいは当たるだろうという灰の無茶な考えの所為で結局乙夜は銃を持つ事になった。 勿論乙夜は使う気はない。
2010/10/31 21:29:2 [360]幕を開けたはいいものの、その“ゲーム”のルールを乙夜は知らないのであった。 殺人ゲームというからには死んだ方が負けということなのだろうか。 「……当たり前だろ」 灰に聞いてみた所、そのルールは実にシンプルな物だった。 手段は問わず相手を殺す。死んだ方が負け、降参はあり。ということは、誰も死なない終わり方があるということだ。 つまり灰か結衣を説得すれば。 「乙夜」 不意に顔を覗き込まれた。 考えているうちに、いつのまにか歩みを止めていたらしい。 表情から考えを読み取ったのか、灰は嘆息した。 「俺の経験からすると、このゲームで降参した奴は一人もいない。特に結衣はそんなことはまずしないだろうな」 希望は一瞬にして折られた。 灰の方を見ると、彼はナイフを取り出してそれの手入れをしていた。足元の草むらにはリボルバーが一つとオートマチックが一つ、それから弾倉が二つ置いてある。 本気で彼は結衣を殺す気だろうか。 「灰、そういえばお前、結衣の事止めたいって言ってたよな?」 唐突に切り出した乙夜に、灰は少し驚いた様子を見せた。 しかしすぐに武器の手入れに戻る。 その横顔は少しだけ憂いを帯びていた。 「……ああ、言った」 その声だけははっきりとしていて、それが彼の意志の強さを見せているような気がして。 「だったら……結衣を殺したら意味がない……止めるって、そう言うことじゃないんだろ!?」 思わず声を荒る。 一瞬の沈黙。 乙夜は灰の横顔睨みつけていた。 そして唐突に、灰は笑い出す。 はじめはこぼれる笑いを押さえるように。やがてこらえ切れなくなっておなかを抱えて彼は笑い出した。 「……な、何だよ。何がおかしいんだよ」 顔を赤くして言う乙夜を無視して、しばらく灰は笑っていた。 その笑いが収まると、灰は切り出した。 「俺が結衣を殺すとでも思ったのか?……結衣を殴ろうとしたお前を殺そうとした、俺が?」 だが灰はあのとき、引き金を引く指に躊躇いはなかった。宣戦布告の声も本気だった。 矛盾している。が、しかし。 「あのな、あのリボルバーに弾が入ってないことくらい最初から分かってたんだよ、俺は。それにこのゲームのルール……俺は“死んだ方が負け”って言ったけど、“全員が死んだら負け”とは言ってないぞ」 つまり、灰の標的は結衣ではなく、あの双子、ということだ。
2010/10/23 21:34:48 [414]思わず乙夜は目を閉じた。 あの日――乙矢が銃で撃たれたあの日――から、銃の傷を見るのも、銃声も怖くなってしまっていた。 しかし、聞こえて来たのはいつもの銃声ではなかった。 カチッ。 おそるおそる目を開けると、無傷の結衣と銃を後ろに放り投げた灰の姿が見えた。 「弾切れ……こんなもん持ち歩くなよ」 聞こえて来たのは灰の失笑。 どうやら、結衣を殺そうとしたのは本気だったらしい。呆然としたまま動けない結衣を一瞥して、灰は乙夜の方に歩いて来た。 「行くぞ」 何所に。 聞く暇もなく、乙夜は灰に腕を掴まれて引っ張って行かれた。 結衣は放心状態。その後ろにいる双子は結衣の感情に合わせたように、同じ表情をしていた。 あまりにもその表情が似ていたので思わず吹き出してしまう。 本当に灰の言った通り、白と秀はもとは結衣の人格の一部だったらしい。 「……灰」 「何」 呼びかけた声に即答した灰は無表情に乙夜を見た。 あまりにも平静すぎる表情。前にも見た、哀しさを必死で隠す表情に少し似ていた。 乙夜はそれに気付かないフリをして、続ける。 「……さっきのアレ、どういう意味?」 その言葉に灰は瞬きをして聞き返す。 「宣戦布告のことか?それとも結衣を殺そうとしたこと?それとも……ゲームのメンバーにお前も入れたことか?」 その、全部なのだが。 乙夜は嘆息して告げると灰は薄く微笑んで返しただけだった。 その意味を、乙夜は正確に汲み取る。 ようするに、全部本気だと。 「悪いな、俺はお前みたいに頭は良くないんだ。それ以外に思いつかなかった」 当然のように灰は淡々と言う。 考えればもっといい方法など、幾らでもあったと言う事は乙夜はあえて告げなかった。 言ったとしても後の祭り。今更、灰は言った事を取り消すつもりはないだろう。 そしてゲームは静かに幕を開けたのだった。
2010/10/18 21:2:55 [175]勢い良く宣言したはいいものの、やはり乙夜は少し緊張していた。 無理もない。相手は大量殺人を目論んでいるのだから、乙夜のような反応が普通なのだ。 そして灰も。残ると言ったはいいが、何一つ策を考えていないようだった。 結衣に説得に行った所で応うほど結衣も素直ではない。 何気なく見上げた校舎は結衣がいる教室以外は灯りが消えていた。皆逃げ出したのか殺されたのかのどちらかだろう。 このまま居れば自分もこうなるかもしれない。乙夜は無意識に身体を震わせていた。 「怖いのか?」 隣にいた灰が嘲るように微笑んだ。 「まさか、武者震いだよ」 咄嗟に考えついた言い訳はとても嘘くさいものだったが、灰はそれ以上何も言わなかった。 灰は乙夜と違って平然としている。 考えてみれば灰も何人もの人を殺しているのだ。でも今は彼は味方だから大丈夫、だと思いたかった。 「見ぃつけたっ」 唐突に背後から声が聞こえた。 はっとして二人は振り返る。 月明かりに照らされたその場所にいたのは白と秀。そして、結衣。 距離は離れているが相手は銃を持っていた。 万事休す。 逃げようとした乙夜を灰は手で制した。 「2対3でいいのか、結衣?」 不敵に微笑んで、灰は結衣を見つめる。結衣の表情は驚愕に満ちていた。 「宣戦布告。お前は今から俺の敵だから」 慣れたような口調で、驚くべきことを彼は言ってのけた。 乙夜は唖然として、口を開閉させる。いったい灰はなにを言いたいのだろうか。 「どういう意味?」 「ゲームだよ。結衣も知ってるだろ?俺たちがいつもやってたゲーム」 灰が指しているのは以前よくやっていたらしい、“殺人ゲーム”だった。 2対3、と灰は言った。ということは灰のチームには乙夜も含まれているらしい。 「ち、ちょっと待ってよ。私は灰を殺すつもりなんか――」 焦ったように、結衣は灰に近づいて行く。 結衣が灰の正面に来たところで、灰は結衣の手から銃をかすめ盗って銃口を結衣の眉間に突きつけた。 「こっちは本気だぜ?」 灰は何のためらいもなく引き金を引いた。
2010/10/13 21:16:27 [747]予想通りの反応をしてくれた。 唖然としたような顔で乙夜の顔を灰は見ていた。 「……馬鹿か」 低く唸るような声で、灰は乙夜を睨んだ。 その視線に乙夜は一瞬怯んだが、灰の目を真直ぐに見返した。ここで退いてはいけないような気がしたから。 だけど灰はそんな乙夜の意志を一蹴した。 「結衣がやろうとしてるのは前みたいな生温い大人狩りじゃない。無差別の大量殺人なんだぞ?たとえ子どもであろうと目の前にいる人間は問答無用で殺す……それが結衣のやり方だ」 乙夜が考えていたことも全て見抜いたように彼は淡々と説明した。 「お前が残っていても邪魔なだけだろ。それに俺はお前の事が嫌いだ」 冷酷に事実を突きつけて来る灰。 それにふと違和感を感じ、乙夜は灰に問うてみた。 「……嫌いなら、何で俺を生かそうとする訳?」 灰は答えなかった、否、答えられなかった。 それは嘘だったから。 だけど、乙夜は灰にとって邪魔である事は列記とした事実だった。 それでも乙夜の気持ちは変わらない。そうしなければならない、と、乙夜は心の中で自分で自分に言い聞かせていた。 「お前は自分で自分のこと守れないだろ。俺がお前を守りながら結衣をとめられるとでも思ってたのか?」 「誰が守ってくれなんて言った?」 灰の切り返しに乙夜は驚くほど冷静に返す。 しかしその声とは裏腹、乙夜の心臓は破裂しそうなくらいに鼓動していた。 怖いとも楽しいともつかない不思議な感情だった。 「それに足手まといにはならない。お前と違って、これでも頭の回転は速い方なんだ。やばくなったら逃げる方法くらいは思いつくよ」 昔からそうだった。運動はまるっきり出来なくても、頭は良くて口もうまい、乙夜はそう言う子だった。 そして、とても強情だから一度決めた事はてこでも動かない。 灰は諦めたように両手を挙げた。 「お前が死にそうになったら容赦なく見捨てるからな」 「そっちこそ」 まだ皮肉を言う精神力は残っていたらしい。 こんな状況で、乙夜は何故か薄く微笑んでいた。
2010/10/8 20:53:53 [234]ようするに、この夜の世界は結衣が作ったと言う事だけが分かった。 「それで……どうなるんだ?」 それだけならばまだ話は簡単だった。 永遠に日が昇らない。大変な事ではあるが、ただそれだけの事だ。別に誰かが傷つく訳でも死ぬ訳でもない。 「虐待されてるって話……したよな?」 それから結衣が大人を憎むようになって、終に両親を殺してしまった。 それだけでは飽き足らず、この世界の大人を全部殺してしまおうと彼女は目論んでいるらしい。 もっとも、これは灰の憶測にすぎないが、十中八九、そうだと断言してもいいだろう。 それを止める、と彼は言うのだ。止められるのは自分しかいない、と。自分自身が結衣の標的であると分かっていながら。 「そんな……無茶苦茶だろ……」 その為に死んでもいいのだろうか。 「別に、他の奴らが何人死のうと、俺はどうでもいい。主犯格が結衣じゃなかったら放っといてるだろうな」 でも、と彼は続ける。 「結衣は間違ってる……だから俺が止める」 乙夜の考えていることを見抜いたかのように、灰は微笑んだ。 しかし、灰は殺しを“殺人ゲーム”と称して遊んでいた、と言っていた覚えがある。 結衣だけ間違ってるというのは些かおかしいのではないだろうか。 「……お前の言いたい事は分かるよ。俺も同罪だって言いたいんだろ?」 どんな理由があろうと、乙夜は人の命を奪うことを許してはいなかった。 そのことは灰も理解していたらしい。 「お前は言い訳って言うだろうけどな……結衣は無差別で人を殺そうとしてる。俺は少なくとも殺す奴は選んでたよ。大人だからって全員が悪い奴って訳じゃない。お前の兄貴……乙矢って言ったっけ。あいつは悪い奴じゃないだろ」 乙夜ははっと目を見開いた。 何故、灰が乙矢の事を。 「細かい事は気にするな」 何故かそこだけは軽く流されてしまった。 詰め寄ろうとしたが、彼は右手を上げてそれを制す。 「ということだ。お前は逃げろ」 「嫌だ」 思わず即答してしまった。別に理由などない。ただ、なんとなく。 「俺も残るよ」
2010/10/6 20:22:39 [940]もうすぐハロウィーンですね☆彡 応援あげです(・v・)↑↑
2010/10/5 22:19:18 [539]灰に手を引かれて昇降口まで来たが、やはり灰の言葉が気になって仕方がなかった。 「残るって、どういうことだよ」 灰の眉がひそめられる。立ち止まって、彼は黙ってしまった。 怪訝そうに乙夜は彼の顔を見るが、しかしそこに表情はなかった。何もない表情は何故か少し寒気を覚えさせる。 「……灰?」 我に返ったように灰は顔をあげる。 なんでもない、と小さく呟いた彼の顔はいつものそれと同じ物にもどっていた。 「で、残るってどういうことだよ」 言いたくないことだということは分かっていた。だけど、乙夜は聞かずにはいられなかったのだ。 嘆息して、灰は話し始める。 「結衣を止められるのは俺以外にいないかもしれないからな」 結衣が唯一信用しているのは灰だけだから。 そして結衣はおそらく、誰も止めないかぎりこの世にいる大人を殺し尽くしてしまうだろう。 この辺りに大人が殆どいないのは、大半は結衣が消したから。もう少し遠い場所では思ったよりも大人は生きているらしい。もっとも、減り続けていることには変わりはないのだが。 「明けない夜の原因……お前は知ってるか?」 首を横に振る乙夜に、灰はとんでもないことを言う。 「原因……多分、結衣だと思う」 思わず息をのむ。まさか、そんなことは想像もしなかった。 曰く、根源は幼い頃からの虐待と孤独。そして彼女の中に、もう一つの人格が現れた。それの原因は苦痛による精神障害。その“人格”が、 「白と、秀……?」 「正解……。それから一ヶ月後に」 明けない夜が始まり、それと同時に結衣の中にあった人格は枝分かれした。 彼女も、それが自分自身だということは理解している。そして、明けない夜の根源が自分だと言う事も。 「……もともと、結衣に教えてもらったんだよ。夜の原因」 始めは冗談かと思った。しかし秀と白は確かに灰が幾度か見た結衣のもう一つの人格だった。 そして、この世界は結衣に都合がいい、いや、よすぎる設定になっている。 故意にやってのけた訳ではない。おそらくただの偶然だろう。 衝撃の事実は、乙夜の頭の中で整理するのには時間がかかった。
2010/10/2 22:54:6 [328]驚愕に、声も出なかった。 何故、何の為に。 自分の両親を原型も留めないくらいまでバラバラにするなど、乙夜にとっては考えられない事だった。 “結衣は親に虐待されていた” 結衣の頬の傷が目に入る。乙夜はゆっくりと後ずさった。 結衣は相変わらず肉片を楽しげに弄んでいる。 見ていられなくなって、乙夜は教室を飛び出した。 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い怖い怖い怖い怖い…… 目の前に広がった悲惨な光景が頭の中に蘇る。 乙夜は一つ頭を振って走り続けた。 階段を駆け下り、幾つもの教室を横切って廊下を駆ける。 不意に、後ろから肩を叩かれた。 驚いて手を振り払って見ると、そこには灰が立っていた。 「……見たのか?」 「……え?」 「教室」 短い会話でまたあの凄まじい光景が頭に蘇り、目眩がしてよろめく。 灰はそれを支える事もなく嘆息した。そして短く言う。 「だったら早く逃げろ。結衣が今やってる事はただの序章なんだ……」 苛ついたような声音で吐き出された言葉の意味を、乙夜は正確につかみ取る事が出来なかった。 “アレ”が序章。 あの、肉片がまき散らされた教室の光景が。 「もうすぐ、この街は地獄絵図と同じになる。その前にお前は早く逃げろ」 珍しく焦った風情で。彼は乙夜の腕を引いた。 「待てよ。“お前は”って……灰はどうするつもりだよ」 微笑んだ、のだろうか。 灰の浮かべた微笑みは、しかし哀しげな色を含んでいた。 「俺は残る」 思わず乙夜は目を見開く。 灰の言葉から察するに、結衣は大量殺人を企んでいるようだ。正気の沙汰とは思えない。 そして大量殺人の対象はおそらく“大人”。ならば成長が訪れた灰は必然、狙われることになる。 灰は、何を考えているのだろうか。
2010/9/30 22:16:36 [577]「あれ、誰もいない……?」 朝起きると、あまりの静けさに驚いた。 朝、といってもこの世界で日が昇る事はないのだが。 兄は今頃隣町のコンビニにバイトに行っているはずだからいないのはおかしくない。 だけど、毎日家の前を駆けて行く子どもの声も足音も聞こえない。身を潜めている大人達のひそひそ話も聞こえない。 怪訝に思いながらも、乙夜はいつもどおり学校に行った。 珍しく、今日は誰ともすれ違わない。頭の中で警鐘が鳴り響いたような気がした。 自然に足取りは速くなり、いつもより早い時間に学校に着いた。 グラウンドには人っ子一人いなくて、五月蝿いはずの校舎の中からは誰の声も聞こえなかった。 急ぎ足で階段を上り、教室に入る。 「おっはよー。いつもより早いじゃん?」 やけに明るい結衣の声。 そして生臭い鉄の臭い。 彼女の手に握られていたのは肉片。おそらく、もとは人間の物だろう。 この教室にいるのは結衣と乙夜と、それから床に散らばった肉片だけ。 ものすごい目眩と吐き気に襲われ、床に落ちているものから目を逸らす。 「どうしたの?元気無いじゃん」 誰の所為だ。 言い返す気力は既になくて、そしてふと、ある違和感に気付く。 「灰……と秀と白は?」 振り返らないまま、乙夜は結衣に問う。 もしかして、そのあたりに散らばったものは彼らの残骸なのだろうか。 考えただけで吐き気がする。身の毛がよだつ。 そんな乙夜など気にもせず、結衣はいつものようにさらりと答えた。 「秀と白はいるはずだよ、そのへんに。……灰は」 最近、来ないじゃん。 小声で、少し寂しそうに彼女は付け加えた。 はっとして乙夜は振り返り……そして振り返った事に後悔する。 肉片を玩具のように弄ぶ結衣の姿に、一歩後ずさった。 「……何、コレがあの三人だとでも思った?」 驚くほど静かな声で。 そして、とても冷たい瞳で結衣は乙夜を見やる。 「教えてあげようか、これの正体」 聞きたくない。 だけど、そんなことを言わせない気迫が結衣の瞳の色に交じっていた。 逃れられないように、まるで鎖でしばられているかのような感覚を覚える。 逃げ出したいのに逃げ出せない。 結衣はクスクスと笑って、手に持っていた肉片を床に放り投げた。 「これ、私の両親」
2010/9/25 20:6:1 [704]一つ下の小説、 「荒らしの前の静けさ」ではなく、「嵐の前の静けさ」でした。 誤字失礼しました。
2010/9/25 14:59:27 [662]しばらくは何事も起こらない、普通の“異常な日常”が続いていた。 ただ、学校に灰はいなくて、結衣は時折窓の外を眺めていた。 そう、日が昇らなくなってからこんな日がずっとつづいていて、だから慣れているはずなのに。 何故かとてつもない違和感を感じた気がした。 灰がいないからではない。灰は前にも何度かいなくなっていたし、そんなことはもう慣れっこだ。 それに、誰がいなくなったからといってさして問題になるようなこともない。 ならば、この違和感は何なのだろう。 考えても無駄な事だ、と察した乙夜は何も言わずにもとの日常にもどっていった。 確かに考えても無駄な事で、しかしその違和感は杞憂には終わらなかった。 荒らしの前の静けさ、とでも言おうか。 乙夜はわけが分からないまま、束の間の平和の中で暮らしていた。
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めずらしく、あとがき的なものを書いてみます。 最近、ログイン出来ていなくて、連載も止まってしまっていた事をおわび申し上げます。 今回はあとがきを書く余裕があるほどの短い文ですがw これは、クライマックスへのつなぎ程度のものです…… ということは……そう、クライマックスは近い、ということ。 バッドエンドかハッピーエンドか。 それは私の気まぐれで決まります(( 乞うご期待!
2010/8/8 21:47:53 [468]「なぁ、兄貴って、嘘ついたことある?」 帰って来て開口一番、これである。乙矢が唖然としたのも無理は無い。 少し考えたように顔をしかめる兄を、乙夜はじっと見ていた。 「何、急に」 返って来たのは質問の答ではなく、怪訝そうな声。 「や、なんとなく、ね」 まさか学校で何があったか、などと言えるはずはない。 ふぅん、と呟くと、乙矢は乙夜の目を見た。 「あのさ、」 ふと乙矢は真剣な顔になる。 乙夜の背筋が自然とのびてしまう。 「乙夜が聞きたいのは、どういう“嘘”なんだ?」 「どういう……って?」 意味が分からない。嘘は嘘なのだ、それに種類などあるはずはない。 顔をしかめて、つい考え込んでしまう。 目の前にいる乙矢が、ふっと微笑んだ気がした。 「俺は嘘は嫌いだよ。でも、時には嘘をつく必要があるときもある。俺は、本当に必要な嘘しかつかないよ。」 淡々と告げる声を、乙夜は黙って聞いていた。 「嘘、ついたことあるんだ……」 期待していた答えは“否”、なのに、乙矢の答えは違った。 やはり、大人になるとはそういうことなんだろうか。 がっかりしたような、哀しそうな顔をする乙夜に、音家は言う。 「嘘をついたことのない人間なんかいないよ。そんなの、何も喋れない赤ん坊くらいさ。乙夜だって、嘘をついたことはあるはずだよ。」 人間というのは、そういう生き物なのだ、と。 「じゃ、大人になるってどういうこと?」 完全に虚をつかれた、という顔を一瞬だけ見せて、乙矢は呟いた。 「さあ、な。人によって違うだろ。そんなもの」 「なに、それ」 怪訝そうに聞き返す。乙矢は何も答えなかった。 自分で考えろ、と。そういうことなのだろうか。 もやもやした気持ちは収まらないまま、ベッドにもぐりこんだその日の夜は、なかなか寝付けなかった。 いいかげん、太陽の光が見てみたい。 終わりのない夜は、冷酷に乙夜を見下ろしていた。
2010/8/4 21:53:18 [942]そして乙夜はその場にしゃがみ込んだ。 気がつくと夜の帳は既に落ちていた。 嘘をつくのが、裏切るのが大人だと灰は言った。 そうなのかもしれない。しかし兄は、乙矢は。そんな人間じゃない。 どうなれば大人でどうなれば子どもなのか。 いまの世界では大人と子どもの境目がよくわかる。成長すれば大人でしなければ子どもなのだ。 何故こんな世界になってしまったのか誰も知らない。 もしかしたら誰かが知っているのかもしれない。遠くにいる誰かか、はたまた、意外と近くにいる誰かなのか。実は今背後にいるのかもしれない。 「乙夜」 ちょうどタイミング良く誰かが背後から話しかけて来た。 思わず「ひゃあ」という間抜けな声が出てしまう。背後にいた人物は唖然としたような顔をして突っ立っていた。 「……結衣、何だよ」 語気が剣呑な空気を帯びるのを感じた。 「まぁまぁ、そう邪見にならなくても。ね」 くすくすと笑う結衣は、おそらく罪悪感など欠片も持っていないだろう。 それが乙夜の怒りを倍増させていた。 「あ、そうそう。灰何所にいるかしらない?」 「知らない」 即答だった。 考える気もなかった乙夜はとりあえずこの女を視界に入れたくなかった。 結果的に知らないことだったので考えても考えなくても答えは同じなのだが。 「そ。じゃああたし帰るね」 ぴりぴりとした空気から逃げるように結衣は出口とは逆方向に歩いていった。 不審に思って乙夜は結衣に声をかける。 「……ずっと学校に住んでるのか?」 思わず結衣は振り向いて乙夜の顔を見つめる。 「ここ以外行くとこないもん。家は居心地悪いしさ。ここは夜は寒いけど、家よりはまだましだし」 「……俺んち、来る?」 「………………はい?」 結衣はおもいっきり胡乱気に聞き返して来た。 まあ、無理も無い。兄を撃った張本人を家に招くなど、狂気の沙汰だ。 「親、いないし、部屋は余ってるから。そのかわり、兄貴には何もしないって約束してもらうけど」 沈黙が二人の間に訪れた。 結衣はすこし考えた後、口を開いた。 「何で?」 「だって、寒いんだろ?風邪でもひいたら大変だ」 「ありがと。でも、やめとく。灰以外の男の家には泊まらないって約束だもん」 乙夜は内心、驚いていた。あんなことがあってもまだ灰の事を……。 灰の言う通り人を裏切るのが嘘をつくのが大人なのかもしれない、と。 真剣に考え込んでしまった。
2010/8/2 17:11:38 [113]応援あげです(・v・)↑↑
2010/7/25 22:48:47 [315]とても良いお話しで、考えさせられることもあります。 応援ageです^^
2010/7/24 23:24:33 [692]彼らの事を乙夜は放っておく事にした。 もちろん、自分に非があることは理解していたし、あやまりたい気持ちもあった。 しかし、それと同時に結衣を憎む気持ちも心の中に存在していたのだ。 ちらりと灰を見て、そして冷たい目で結衣を見る。 何故か、結衣の口元が微笑んでいるように見えた。 すぐに目をそらして乙夜は机に向かう。昨日はあまり眠らなかったので、いつの間にか眠ってしまっていて、そして目が覚めたら昼を過ぎていた。 鉄のような臭気が届くのがわかった。灰はいなくなっていて、教室の中にいたのは結衣と双子と、それから変わり果てた肉片。もとは人間だったらしい。 できればそんなものを見たくはなかった。ソレと同じ空間にいるのも嫌だったので、思わず席を立ち、教室を飛び出る。 死体を見つめる結衣の目は、どこか楽しそうで、感情が読めないほど深く暗い色をしていた。 廊下をぶらぶらと歩いていると、灰を見つけた。 どうやら、保健室の前にいるらしい。 「……灰?」 はっとして顔をあげる灰。 その顔は少し哀しげで、その心情を必死で隠しているようにも見えた。 「……なんだよ」 いつもより、虚ろな声だった。 保健室の前にある身長計を凝視して、肩を落としたように見える。 「身長が、どうかした?」 乙夜の言葉に過敏に反応して、激しく首を横にふる灰。 「……なんかあった?」 「俺は……」 蚊の鳴くような小さな声。 「大人になんか、なりたくない」 握り締めた震える手に爪が食い込み、血が流れる。 驚いたように立ちつくす乙夜に、灰は言った。 「最近、身体がおかしいと思って、でも病気じゃないし、体調も悪くない。もしかしたらと思って身長をはかってみたら、前よりも三センチ伸びてたんだ。心が大人になったら身体が成長するのが今の世の中なんだろう?だったら俺、大人になったのかなぁ」 うつむいたまま泣きそうになった灰は、ゆっくりと歩き出した。 「灰!」 追おうとした乙夜に、灰はふりむかずに言った。 「俺、結衣に嘘ついた。結衣のこと、裏切った。なあ、大人になるってそういうことなのかよ」 だったら、と、灰は続ける 「俺は……大人になんかなりたくないっ!」 廊下を走り抜ける灰が見えなくなるまで、乙夜はそのばを動く事ができなかった。
2010/7/13 22:21:10 [36]家に着くと、玄関に放り出したままの鞄があった。 慌てて片付けようとする乙夜を苦笑しながら乙矢は見ていた。 「あ、鍵……」 慌てていたので、鍵を閉めるのを忘れていた。 幸い誰も入って来なかったらしく、家の中はいつもと同じで平和で静かだった。 ほっとため息をつく。いつもなら乙夜を叱る乙矢だが、今日は緊急事態だったので何も言わなかった。 すぐに家にあがった夕飯の支度をしようとした乙矢を乙夜があわてて止めた。 「駄目だよ、怪我してるのに……」 なんでもない、というように乙矢は微笑む。 「こんなの、怪我のうちにはいらないよ」 兄の口癖だった。いつも、誰も心配させたくなくて、こう言っていた。そういえば、小さい頃におなかが痛いのを我慢して盲腸が破裂寸前になったこともあった。 平気そうに笑っていながらも顔色が悪かった。 「駄目。今日は俺がする」 半ば無理矢理、押しのけるように乙夜はキッチンに入っていった。 そういえば、料理をするのは久しぶりなのかもしれない。いつも兄がやっていたから。 淡く微笑んで、乙夜は料理を続ける。 「痛っ!」 よそ見をしていたら、包丁で指を切ってしまった。 こういうとき、いつも兄が苦笑して手当をしてくれた。 だから……兄を失いたくない。 だから……結衣をとてもとても怨んだ。
学校には行きたくなかった。でも、兄が行けというので、しぶしぶといった風に行く事にした。 もちろん、兄には外を出歩かないように、と念を押して。 躊躇いがちに教室に入った。 いつものように灰と、結衣と、白と秀が教室にいた。 うつむいたまま顔をあげない灰と結衣の間には、気まずい空気が流れていた。
2010/6/19 21:17:21 [529]二者択一の選択を迫る結衣の顔が頭に浮かぶ。 楽しそうに笑って、罪悪感など一つも感じていない顔が。 苦しそうに息をする乙矢の苦しみを結衣にも感じさせてやりたい。乙矢の傷を全て結衣に移したい。 乙矢がこんな目に遭う必要はない。でも結衣にはその必要がある。 矛盾する思いは脳裏を駆け巡る。 “この世界に大人は要らないって、神様が言ってるのよ” 結衣の声が頭の中で反響する。 結衣がどんな理屈で大人を否定していても何も感じなかったが、標的が乙矢ならば話は別だ。 「……ん」 不意に、聞き慣れた声が耳に届いた。 「……兄貴っ!」 考え事をしているあいだに拘束は外されたらしい。 乙夜は乙矢にかけよった。 乙矢はとても苦しそうに息をしていて、血の気が引いているにも関わらず、乙夜の顔を見たら、優しく微笑んだ。 思わず涙がこぼれた。乙夜はあわててソレを拭う。 「馬鹿だなあ。これくらいたいした事ないよ」 よかった。 乙夜の兄は変わらずそこにいる。死んでいない。 肩には包帯が巻かれていた。一応、出血は止まっているようだ。 「兄貴……よかった……」 涙が止まらなくなった。 殺した、と。結衣の口からその言葉を聞いた時、どれだけの絶望感に襲われた事か。 そうしているあいだに、乙矢は帰る支度をして乙夜の元に来ていた。 兄を支えようとした乙夜に、 「足は大丈夫だよ。歩けるから」 苦笑して返す。怪我をしていても兄は何も変わらない。 「なぁ、何で素直に食べ物を渡さなかったんだ?」 いきなりの問いに乙矢は一瞬答えにつまる。 「そっか、聞いたのか。……まさか、本当に撃つとは思ってなかったからな。それに、子どもでも強盗は駄目だろ?」 答えは単純だった。 小さい頃から両親に教えられて来たことだから、だと思う。 乙夜でも同じ事をしそうだ。 でも、次にいつ結衣が同じ事をするかと思うと寒気がする。 そうならないことを祈りながら、乙夜は帰路についた。
2010/6/17 16:35:42 [506]教室。 闇に包まれた夜の中で、そこだけが明るかった。 双子の片割れと、気力を失い机に突っ伏している灰と、いらだちを隠せない乙夜。 午後4時。 乙夜は立ちあがり、教室を出て行った。もう下校時刻なんかどうでもいい。 正直、一度家に帰って兄の生死を確認したかった。 冷静に考えれば、あれは結衣の冗談かもしれないと思えてきた。 不安は拭い切れないが、それでも少しは気持ちが安定していた。 「ただいま」 いつものように玄関の扉を開けても、そこには誰もいなかった。 心臓が激しく鼓動する。 乙夜は家を飛び出し、兄がバイトしていたはずのコンビニへと向かった。 その周囲はまだ大人がたくさんいる様子で、しかし乙夜を見ると避けるように大人達は遠のいていく。 そんなことも気にせずに、乙夜はコンビニの中に入った。 10人ほどの人が集まっていて、なにやら血相を変えた様子でいる。 その中央に、血の気が引いたような顔色の乙矢がいた。 「兄貴!」 群がる人たちを押しのけて乙夜は乙矢に近づく。 「あっ!子どもだ!」 「押さえろ!」 何人かの人が乙夜を押さえ込み、拘束しようとする。 乙夜は抵抗したが、やがてそれが無駄だと分かり、おとなしくなった。 そして、乙夜を拘束しようとしていた大人に、静かな口調で言った。 「……俺を拘束したいんならそれでもいいさ。でもそこに倒れてるの、俺の兄貴なんだ。状況は説明してくれないか?」 怒りを押し殺したような声。 それに圧倒されたのか、大人は状況を説明してやった。 「乙矢は……撃たれたんだ」 簡潔だった。でも、それだけで乙夜の瞳は揺れる。 兄は、乙矢は、死んだのだろうか。 「心配することはない。撃たれたのは右肩だよ。でも、今の世の中には救急車も病院もない。もしかしたら右腕はもう使えないかもしれないなぁ」 生きていた。 乙夜は肩の力を抜き、無意識に息を吐く。 でも何で。乙矢がこんな目に遭わなければいけないのだろうか。 「乙矢を撃ったのは高校生くらいの女の子で頬に大きい傷があったかなぁ。その子が、“食べ物をくれないと殺す”って。丁度ハロウィンの“お菓子をくれなきゃ悪戯する”みたいな感じで話しかけてきたんだ。でも乙矢は何も渡そうとしなかった。だから撃たれたんだよ」 顔面が蒼白な乙矢を見つめたまま、その大人は心配そうに乙矢を見やる。 結衣の残酷な殺人ゲームは、いつまで続くのだろうか。
2010/6/16 13:24:9 [523]不穏な空気。 こんな時に限って、時間は本当にゆっくりと進む。 灰を凝視したまま動かない結衣と結衣と視線を合わせられない灰が醸し出す空気にいい加減うんざりして来た。 聞いたのは乙夜だが、勝手に喋って来たのは灰だ。 乙夜も乙夜で、結衣に殴りかかりたい気持ちでいた。今なら結衣や灰が人を殺したくなる気持ちも分かるかもしれない。 「灰……嘘でしょ……?話してない――」 「話した」 震える声に対する返事は簡潔。 絶望感を拭い切れない結衣に、灰は言った。 「もう……いいだろ?一人で背負い込むなよ。俺は結衣が苦しんでるのが一番辛いんだ」 「嘘……嘘よっ!」 泣きながら結衣は教室を飛び出す。 乙夜と灰は呆然と後ろ姿を眺めるだけだった。
校庭に出て、町を走り、誰もいない暗い道に出た。 何で、灰が、話した、何故、信じてたのに、どうして…… 色々な思いが頭を駆け巡る。 「ゆーいっ!」 いつものように笑いながらかけて来たのは秀だった。 結衣の顔が和らぐ。 「結衣……大丈夫だよ。俺も、白もいるからね!」 慰めるように、結衣にすがりついて秀は言った。 結衣はその頭を優しく撫でる。 「ありがと。白と秀だけだよ。そんなこと言ってくれるの」 「うん、だってさ――」 月も星も雲に隠れ、しいんと静まり返る。 夜の帳は開ける事も無く、静止していた。 闇の中に響く声は結衣だけに届いた。 “もともと、俺たちは結衣だったんだから”
2010/6/11 19:46:21 [247]数時間、沈黙が続いていた。 午後三時。下校時刻までまだ1時間半もある。 「……ただいま」 結衣が教室に戻って来た。身体には返り血がこびりついている。 やはり、血のにおいはいつになっても慣れる事が出来ない。 「ねぇ、乙夜」 薄く、冷たく、意地の悪い微笑みを浮かべた結衣が乙夜に語りかけた。 返事をする気になれない乙夜は、首だけをそちらに向けた。 「乙矢って言ったっけ?乙夜のお兄さん。その人ね、今日死んだよ」 リズムを刻むように、楽しそうに結衣は言った。 乙夜は自分の耳を疑った。 「……だ」 声が震えている。 「嘘……だっ!」 椅子をガタンと鳴らして立ち上がり、そのまま結衣の手首を掴む。 「お前が……お前がやったのか?兄貴を……お前が……」 震えて、理性を失った、冷たくて哀しげな声。 手首を握る力は徐々に強くなっていく。 と、いきなりその手が引きはがされる。数日前と同じ光景。 「それ以上やったら、殺すぞ」 冷え冷えとした灰の声が矢のように突き刺さる。 それでも乙夜は結衣を責めるのをやめようとしない。 「何で……何で兄貴を……何でっ!」 怒りで息があがる。 そんな乙夜を結衣は笑って見つめていた。 「彼は自分で死ぬ事を選んだのよ?だから殺したの……ふふふ」 笑い声が結衣の口から漏れる。 頭の中が真っ白になった。 気がついたら灰を押しのけていて、気がついたら結衣に殴りかかっていて、気がついたら結衣の上に馬乗りになっていた。 「何が“選んだ”だ!?強制したのはお前だろう!虐待されてたとか……お前の過去に何があっても、兄貴に手を出していい理由にはならないだろ!」 そして、気がついたら叫んでいて、結衣の顔が蒼白になっていて、灰が乙夜を止めようとした体勢のまま固まっていた。 「なん……で……しってる……の……?」 弱々しく吐き出される声に、乙夜は我に帰って結衣の上から飛び退く。 「何で……なんであんたが……それを……っ!」 結衣は立ち上がり、息を荒げる。 次第に呼吸数が増え、喉の奥からヒューヒューと風のような音が聞こえて来た。 苦しそうにしながらも、結衣は鋭い眼光を乙夜に向ける。 「灰が、乙夜に言ってたよ」 白の声。 硬直して、絶望に満ちた結衣の顔は、うなだれて頭をおさえている灰に向けられていた。 「か……い?」 灰は何も言わなかった。
2010/6/10 20:47:15 [306]静かに凪いだ彼の表情は色を失っていた。 それでも彼は続けた。 「……手を汚すのは俺だけでよかったんだ」 あの夜、結衣を見つけたのは明けない夜が始まって数時間経った頃だった。 次々と人が死んで逝ったという噂が耳に入り、心臓が止まりそうになった。 やっと見つけた時、彼女の両手は紅く染まっていた。 それが彼女の血では無い事に気付くと、ホッとしたような、とてつもなく哀しいような、おかしな気分になった。 彼女は血と涙で染まった自らの顔を灰の胸に埋めて泣きじゃくった。 “大人は殺して殺して……殺し尽くすしかないのよ” 結衣の身体に付着した血は一人の物ではなく、人が死んだという噂を作ったのは目の前に居る少女だった。 灰は人を殺した事など一度ではない。むしろ、殺しをゲームと称して遊んでいるくらいだ。 でも、結衣はこちらの世界に引きずり込むわけにはいかない。 なのに、止められなかった。 否、止めなかったのだ。 無意識に心の中で、結衣も仲間になってほしいと思っていたのかもしれない。 灰は淡々と抑揚のない声音で語り続ける。独白をするだけの機械のように。 その瞳はだんだんと色を失い、表情も完全に色を失う。 「……っもういい!」 乙夜は思わず叫んでいた。 灰ははじかれたように我に帰った。 「ごめん。もういい……」 小さく頷き、うつむいたまま近くの席に座る灰の表情は、まるで幼い子どものようだ。 いつも怒ったような表情ばかりしている灰がそんな表情をするということは想像もできなかった。 聞いてはいけない事を聞いてしまったような気がして、なんとなく灰と乙夜の間に気まずい空気が流れた。 「ねぇ」 双子の片方、白が灰に話しかける。 「言ってよかったの?」 「……あ?」 剣呑な瞳で灰は白を見る。 「何でお前が……」 ふと、もう片方が居ない事に気付く。何所へ行ったのだろう。いつもは一緒にいるのに。 「あーあ。いいのかなぁ」 くすくすと笑いながら離れて行く白を、二人は呆然と眺めていた。
2010/6/5 21:51:38 [97]人が死んだらどうなるのだろう。 結衣はどう考えているのだろう。 「大人は地獄で子どもは天国。単純明快だよ」 さらりと言ってのける。 乙夜はそうは思わない。人は死んだら灰になる。あとには何も残らない。 それから、乙夜はいつもの席に戻った。だが、勉強をする気にもなれない。 暇で暇で仕方がなかった。 話す相手といえば、双子は論外、灰には嫌われているようなので、結衣以外にはいなかったが、 「下らない話をするだけなら、結衣に近づくな」 灰がそれを許さなかった。 とてつもなく眠たいが、家に帰る気にはなれない。 こんな時ほど、時間はゆっくり流れて行く。 数分後、自分の席でうとうとし始めた。もちろん、咎める者など居ない。 と、誰かが立ち上がる音で目が覚めた。 結衣だった。 「……暇だから、そのへんで大人狩って来る」 と言って教室を出て行く。 灰もついていこうとするが、 「来なくていい」 と、拒まれたのでしぶしぶ教室に残った。 結衣が居ないから、灰の刺すような視線は多少は少なくなった。 「……で……かな」 乙夜の呟きに、灰が顔を上げる。 「ん?」 「いや、結衣は何で大人を憎んでるのかな、って」 灰が答えてくれるとは思っていない。“お前には関係無い”という答えが返って来ると思っていた。 「……俺が言った、って、結衣には言うなよ」 そう断ってから灰は話し始めた。 「結衣の顔に、傷があるのは知ってるだろ?」 幼い頃から、結衣は親に虐待されていた。灰と会った当初は、結衣の顔も身体も、今とは比べ物にならないくらい傷だらけだったという。 一番大きな傷が、頬に残った傷。 「あの傷が出来たのは、丁度、“明けない夜”がはじまったころだったかな」 自分のことではないのに、結衣の事なのに、灰はとても哀しそうな顔をしていた。 本当に、灰は結衣の事が好きなんだな、と。心の底から思った。
2010/6/4 21:37:2 [719]太陽は相変わらず顔を見せる気色は無い。 いつもより30分早い時間に家を出た乙夜は、急ぎ足で学校に向かった。 結衣は学校に住み着いているらしく、この時間にも学校にいた。 「ゆ……」 話しかけようとしたが、灰の刺すような視線が乙夜を貫いた。 もし結衣に少しでも触れれば問答無用で殴りかかってくることだろう。 乙夜は結衣から一歩はなれた所で結衣に話しかけた。 「なあ、17歳くらいの茶髪で背の高い男知ってる?」 結衣はこの分かりにくい説明にしばらく眉根をよせていたが、鞄をごそごそと探り一冊のファイルを取り出した。 「この人?」 そのファイルには色々な人の顔写真が載せられていた。 結衣が指した写真は乙夜の兄、乙矢だった。 「……この人俺の兄貴なんだけどさ、昨日の朝銃で狙わなかった?」 「ん……狙った」 少し考えた後の答えは是。 否の答えを一瞬期待したが、事実は曲げられないようだ。 「兄貴だけでいいから、狙うのやめてくれないか?」 「嫌」 「何で」 結衣は表情をいっそう険しくした。 「大人は……全員消えてなくなればいいのよ」 「……っ!」 ショックで声が出ない。 何故。そんな事を。 腑に落ちない、という顔をしている乙夜に灰は静かに言った。 「お前は、“明けない夜”が運んで来た異変に気付いてないのか?」 乙夜の心臓が高鳴る。 数年前、ハロウィンの夜から。 普通に成長していく兄とは違い乙夜はあの時からなにも成長していない。 ずっと13歳の身体のままだった。 年子だったはずの兄弟は、今は4歳も離れてしまっている。 でも何故。自分と兄どこがちがうのだろう。 灰を見て乙夜は拳を握りしめる。 「俺と兄貴、どこが違うって言うんだ?たった1歳しかかわらないのに」 結衣が静かな声で呟く。 「乙夜、全然わかってないじゃん。何歳だとか、そんなの関係ないんだよ。心が大人になった人は、身体も成長してるの。今まで通りに、ね」 心。 どういう意味だそれは。 「大人は衰えて死ぬ。子どもは永遠に生きる。ようするに、この世界に大人は要らないって、神様が言ってるのよ」 滅茶苦茶な理屈。 結衣は微笑んで続けた。 「だから、私は無知な大人に制裁を加えてるだけ。乙夜の兄弟も例外じゃないの。わかった?」 何で。 それだけでそんなに簡単に人を殺せるようになるんだ。 大人は何も悪い事をしていない。子どももいつか大人になるのに。
2010/5/29 19:59:34 [336]教室の光景は先ほどと同じようになった。 ただ、誰も、双子でさえも騒ぐ事はなく静まり返っていた。 とても張り詰めた空気の中で、何度帰りたいと思った事だろう。 灰は刺すような視線を乙夜に向けていた。 結衣の周りには暗い空気が立ち籠めていた。 双子は異常なほどに静かだった。 それでも乙夜は下校時刻の四時半になるまで学校にいた。 下校時刻になると、飛び出るように学校を出て行く。 グラウンドを走って校門に急ぐ。 と、乙夜の足下の地面がえぐれた。そこから細い煙が立ち上る。 後ろを振り向くと、校舎の二階……先ほどまで乙夜が居た教室の窓のところに灰が立っていた。 “次やったら、殺す……” 彼の表情はそう言っているようにも見えた。 乙夜は、脇目も振らずに校門から飛び出した。
「……っただいま」 息を切らして家に駆け込んだ。 中には乙夜の兄、乙矢がいた。 「……?おかえり」 何もなければ息を切らして帰ってくるような事はない弟の顔を怪訝そうに見た乙矢は、しかしそれを追求しようとはしなかった。 「……なぁ、乙夜」 不意に、乙矢が口を開く。 「?……何」 乙夜は戸惑いながらもそれに応じた。 「俺……もう外に出ない方がいいかな?」 突然の問いに言葉がつまる。 何故そんなことを言い出すのだろうか。 首を傾ける乙夜に、乙矢は続けた。 「最近……いや、3年前からか。大人がどんどん殺されてるだろ?俺も最近、狙われるようになってな。今日も朝、誰かに銃を向けられたりした。だからもう出ない方がいいだろ?」 ……銃? この辺りで見る死体は刃物で殺された者が多い。 銃を見たのは、今日くらいだ。 「まさか、その人って、頬に傷がある女の子、じゃない……よな?」 「……なんで知ってる?」 やはり結衣だったか。 乙夜は小さくため息をつく。 「知り合い……だと思う。その子にちゃんと言っとくから大丈夫だよ。……俺、疲れたから寝る」 「飯は?」 「いらない」 今日はいつにも増して疲れたような気がした。 ベッドに入った乙夜は、死んだように眠りについた。
2010/5/24 21:5:4 [95]ああ、うるさいうるさい。 双子や灰と結衣の声が出来るだけ耳に入らないように、乙夜は更に勉強に集中した。 数分後、やっと声が聞こえなくなった。不気味なほど、静かになった。 怪訝に思ってちらりと見ると、灰以外の3人が窓の外、街灯で照らされたグラウンドを眺めていた。 何か居るのだろうか、静まり返って「何か」を凝視しているようだ。 なんだろう、そう思って立ち上がったとたん。 銃声。 悲鳴。 乙夜は思わず椅子をがたんと鳴らしてしまった。 灰が一瞬振り向いて乙夜を見たが、他の三人は無視している。 また、銃声が聞こえた。 「……結衣、下手だな」 「俺の方が上手いよ。絶対!」 双子は結衣を見ながら騒ぎ立てる。 「うるさいなあ、放っといてよ」 ぶつぶつと小さい声で呟きながら、また引き金を引いた。 今度は、悲鳴は聞こえて来なかった。 静寂。 双子の歓声が聞こえた気がした。 思わず窓に駆け寄って、グラウンドを見下ろす。と、そこに血まみれの死体があった。 「……っ!」 これが初めてのことではない。 もう、何回も見た光景。しかし、慣れる事は出来なかった。 乙夜が見た事があるのは、道ばたに転がった死体だけ。実際に殺すところを見たのは、コレが初めてだった。 そして、無意識のうちに結衣の胸ぐらを掴んでいた。 「お前っ……!」 詰め寄ろうと声を荒げた。が、誰かの拳に遮られた。 頬に激しい痛みが走る。 灰だった。 灰はそのまま乙夜を見る事もなく、元の場所に戻った。 「ほんと、あんたって馬鹿だね……」 結衣が呟く。 何を言ってるんだ。 馬鹿なのは、お前達の方だ。お前達の方が、よっぽどおかしいよ……。
2010/5/21 21:54:4 [121]今後どんな展開になるか、とても楽しみになります。 頑張ってください。
2010/5/21 21:9:2 [589]ハロウィン。 その日の夜には子どもは仮装をして色々な人の家をまわってお菓子を貰いに行く。 つい数年前までは、10月31日にそれが行われていた。 数年前。 いつものようにハロウィンの夜が訪れた。 しかし、次の日の朝が来る事はなかった。 夜の帳は明ける事がなく、太陽を見る事もなくなった。 そして……その日から大人達が消え始めたのだった。 学校に行く子は居なくなった。 子ども達は「自由」を手に入れて、大人を憎む子がどんどん増えて行った。 乙夜の両親は、数年前のハロウィンで行方不明になり、いまは兄の乙矢と二人で暮らしていた。 大人が居なくなった今でも、乙夜は律儀に学校に通う。 最初は全然人が居なかったが、子ども達は遊び場として学校を使っていた。 北野中学は乙夜の通っている学校だ。 ほかの学校は子ども達が壊してまわったので、無傷で残っているのはこの辺りでは北野中学だけだった。 いつものように学校にいくと、教室にはいつものように4人の人がいた。 「乙夜、おはよー」 「おはよー」 明らかに中学生ではない、双子の兄弟がこちらを向いて手を振って来た。片方を秀、片方を白といった。 「……おはよ」 短く挨拶をすると、教室の後ろの方の席に座った。 ちらりと横を見ると、さきほどから騒いでいる双子と、顔に傷がある女の子と無表情でケータイをいじっている男の子がいた。その二人は乙夜より年上に見える。 男の子のほうが視線に気付いてこちらを見た。 「乙夜……いいかげん、制服やめないのか?」 その語気は剣呑な空気をはらんでいた。 ちなみに、大人が居なくなった今、ルールを守って制服を着ているのは乙夜くらいだ。 女の子もそれにあわせるように 「大人の創ったルールなんか守らなくていいじゃん。馬鹿げてる」 語気を荒げて言い放った。 乙夜は曖昧に微笑んでそれをやりすごした。 それに構わず、二人は続けた。 「もう、ルールなんかないんだぜ?守る必要も義務もない。そうだよな、結衣」 「万引きもタバコもみんなやってるよ。ねぇ、灰」 ……それと。 結衣は口の中で小さく続けた。 “大人を殺しても……誰も咎めない” その声は乙夜には届いていない。 近くで聞いていた灰は、黙って結衣の顔を見つめた。
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