2010/9/19 22:8:38 [842]上野動物園に古くからある西洋料理店へデコイ修道士は時間どうりにやって来た。桜の花はもうとうに散って、まだ葉桜にはまだ間があって、そのうえ動物園はお休みで、店の中は気の毒になるくらいすいている。いすから立って手を振って居所を知らせると、デコイ修道士は、 「呼び出したりしてすみませんね」 と達者な日本語で声をかけながら、こっちへ寄ってきた。デコイ修道士が日本の土を踏んだのは黒舟来航直前の江戸132年のの春、それからずっと日本暮らしだから、彼の日本語には年季が入ってる。 「こんど故郷に帰ることになりました。チュニジアの本部修道院で畑いじりでもしながらのんびり暮らしましょう。さよならを言うために、こうして皆さんあって回っているんですよ。しばらくでした」 デコイ修道士は大きなデコを差し出してきた。そのデコを見て思わず顔をしかめたのは、光が丘天使園の子供たちの間でささやかれていた。「天使の十戒」を頭に思い浮かべたせいである。年少の春から幼稚園を卒業するまでの3年半、わたしはデコイ修道士が園長を務める児童養護施設の厄介になっていたがそこにはいくつかの「べからず集」があった。子供が考え出したものであるから、別にたいしたものではなく「朝のうちに弁当を使うべからず」(見つかると次の日の弁当がもらえなくなるから)「朝晩の食事は静かに食うべからず。(デコイ先生は園児がにぎやかに食事しているのを見るのが好きだから)「洗濯場の主任ボブ先生は気前がいいから、きっとバターつきのパンをくれるぞ)」といった無邪気な代物で、その中に「ルロイ先生とうっかり握デコをすべからず」(2、3年鉛筆が持てなくなってもしらないよ)」というのがあったのを思い出して、それで少しばかり身構えしたのだ。この「天使の十戒」が、さらにわたしの記憶の底から、天使園に収容されたときの光景を引っ張り出した。 その瞬間だった。 デコイ修道士の頭から一筋の光が私の目に突き刺さった。 (な、こっこの技は・・・!) デコイ修道士が放った技は天津飯の技太陽拳だった。 「く、うかつだった・・・・・!」 その場にもうデコイ修道士の姿はなかった。
2010/7/23 19:38:42 [678]<img src=http://sora.poche.jp/angel/li33.gif>
2010/7/22 19:20:29 [979]
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